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萩の歴史街歩き 『吉田松陰と高杉晋作』の長州藩

吉田松陰と高杉晋作の書物を読み漁り大河ドラマを見て、長州藩の在り方に興味を持ちまして、山口県萩市を周ってきました。
興味のある人間としてはメチャメチャ楽しい旅でした。

■移動アクセス
山陽新幹線で新山口から南口のバス停のバスで東萩駅迄。1時間に1本は来ています。
約1時間30分山道を移動した為、少し気持ち悪くなりながらも東萩駅へ到着。

萩駅が中心部のイメージでしたが、東萩駅の方がホテルも多く、観光地へのアクセスも良い為、東萩駅からのルートがおすすめです。

1日萩市内を歩き回り、知っておきたかった事としては、萩市内はコンビニがほとんどないのでトイレは施設に入った時に都度行っておくことがお勧めです。

先ずは東萩駅から南東の松陰神社へ。

世界遺産にもなった松下村塾や、松陰が野山獄から自宅謹慎になった際の場所も。
松下村塾は8畳から始まり10畳増築した場所ですが、18畳=9坪、30㎡程で、オフィスだと4,5人用、住居だと2人暮らし位に沢山の人がきていたのですね。

至誠館は思っていたより見どころが有り、個人的には500円の入場料を払っても全然良いと思いました。
松下村塾は基本的にルールがなく自由に議論をできる場所であり、本に書いてあることは今と状況が違うから、今の時代にはどう生かすかを議論するという様なことも書かれていて、ここからも松下村塾の人達が明治時代に活躍する根本的な考え方が見えたような気がしました。
吉田松陰の手紙の数々が有り、「皆に考えてほしい」という語尾が多く、評価は自分ではなく周りがする事だという最近はやったアドラー心理学も少し入っていた事も趣がありました。

松下村塾や至誠館で松陰の生き様を見た後は吉田松陰誕生の地とお墓に向かい東へ。松下村塾の生みの親である、玉木文之進旧宅が有りました。

過ぎてさらに東へ。傾斜の高い山の上にある為に歩いて登っている人はかなり疲れていました。私もヘトヘト。。。
登りきると吉田松陰の誕生地が有り、その横にお墓が並んでいます。ちょうど行った時はお墓の掃除をしている人がいて、この人たちが整備してくれているのだと感謝。大きな像には吉田松陰と、金子重輔がいます。一緒にアメリカに渡ろうとして舟をこいで行った2人ですね。花燃ゆの2人で必死にアメリカへ渡ることを交渉をしていた場面をを思い出しちょっと感動しました。

松陰先生のお墓に参らせて頂き、振り返ると絶景が広がっていました。隣には高杉晋作のお墓もあり一緒にお参りしました。下記写真は杉家(吉田松陰の育った家)の家の敷地です。

その後、少し獣道を上がり維新ロードを歩き西へ。

阿武川手前の蒲鉾店でお腹を少し満たして、橋を渡り更に真っすぐ行き、明倫館へ。

明倫館の剣術や槍の訓練をしていた場所では案内の人がいて、吉田松陰が元々この明倫館で山鹿流兵術を教えていたり、坂本龍馬も来ていたことなど教えて頂きました。


明倫館は、外国船を見て危機感を抱いた毛利敬親が現在の場所に移転をしてきたとの事です。敷地の真ん中に儒教の碑が5つあり、孔子や、吉田松陰や高杉晋作の日記にも良く出てきた孟子や、孔子の弟子の顔回の碑もありました。吉田松陰が考えの中によく取り入れていた孟子は、長州藩という藩が中心としていた考えだったという事を知る事が出来ました。
手前の館は無料で奥の館は300円かかります。収集家の方が集めたからくりや、伊能忠敬の道具が有りました。長州ファイブが大きく取り上げられていて映像もあります。
明倫館を一通り堪能して更に東の城下町へ。

城下町を抜けると憧れの高杉晋作の像がある高杉晋作広場を通り抜けます。

その後、高杉晋作の生誕地へいき、見学。入場料は100円。

更に東へ行き、萩博物館へ。入場料は510円。
鉄道や子供の遊ぶ場所もありながら、長州藩の歴史について深く学ぶことが出来ました。城下町にもやたら夏みかんがある家が多いなと思ったのですが、明治維新後に武士が禄を失い、困っていた時に武士に夏みかんを作ることを薦めたという経緯があったそうです。

その後、北へ進み、観光センターの花の江で一休み。肉うどんがおいしいと勧められ、食べたところ、麺が甘く美味しい味でした。

腹を満たしてすぐ北の萩城跡に行きます。
入場料は210円。
思い返すと、今まで見た各所の資料の中には萩の乱については一切見つからなかった気がします。萩の乱を起こした前原一誠や、切腹した玉木文之進の考えも少し知りたかったなと思いながら萩城内へ。萩としては、敢えて取り上げる事ではないと判断しているのかもしれないですね。

毛利敬親の銅像が入り口にあり、天守はもうなかったが、花燃ゆの撮影地もあり、海の綺麗な景色も見る事が出来ました。


最期は少し歩くが、吉田松陰や高杉晋作が入れられた野山獄を見なくては!と思い疲れた体を奮い起こしひたすら東へ。
野山獄と岩倉獄が今は一部のみしか残っていませんが、見る事が出来ました。
ここでは黒船に行こうとして、その後吉田松陰は野山獄へ、金子重之助は岩倉獄へそれぞれ分かれて、金子重之助が岩倉獄で死んでしまった為、その後2度と会うことが出来なくなった場所でした。
また、高杉晋作が禁門の変の前に来島又兵衛を止める事が出来ず、その後に入ることになった場所で高杉晋作の日記でも、毛利敬親に嘆いていたことを書かれていた場所です。

最期はおしゃれなカフェを見つけたのでそこでエクレアを食べて東萩駅に向かい萩の旅は終わりました。

本当に来てよかった。長州藩の多くの志士が造ってくれた今の日本をより良くしていかなくてはと思いました。

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道灌山の歴史

縄文時代、東京下町は海だったとされていますが現在の下町と呼ばれるところはほぼ全て海でした。
その中で一番山手線で北東側で台地になっていたのが『道灌山』です。現在の西日暮里駅のホームからも見る事が出来、東京一の進学校である開成高校が立地する場所にもなります。
西日暮里4丁目にある道灌山は『西に富士、東に筑波』が見られ、歌川広重の『道灌山虫聞之図』でも描かれていました。
江戸時代は月見をしながら虫の声を楽しんでいた場所だというから趣があるばしょだったのでしょう。
幅が数十メートルしかない台地だったとされていて、不忍通りの先の本郷台地との間には藍染川が流れていたために単独した丘になっていたそうな。
明治時代は岩倉具視の分家の邸宅があったとの事でやはり権力者が住む場所だけあっていい場所なのですね。
西日暮里の裏側にある諏訪神社からの景色を見ると、崖になっているのが良くわかります。近くには富士見坂という地名が今も残っていてマンション建設に反対する掲示物などもありました。
歴史を感じながら旅するのもよいですね。

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コーヒーが出来る迄

普段仕事の合間や出勤前後に何気なく飲んでいるコーヒー。昔は苦いというイメージしかなく、缶コーヒーの甘いものが好きだったが、砂糖やミルクを入れなくなってから味の違いが少し気になるようになってきました。今回はそのコーヒーの起源や成り立ちを調べてみました。

コーヒーの原料となるコーヒーノキはアフリカ大陸原産の常緑樹で、気温が15℃~25℃になる標高1000m~2000mの高地が良質なコーヒー作りに最も適しています。取引量は年間900万t=90億kg 。ブラジルが世界の約1/3を占めている。種類はアラビカ種とロブスタ種、リベリカ種の3種類がコーヒーの3原種と呼ばれています。

アラビカ種はエチオピア高原が原産で優れた香りと適度な酸味で、ティピカ種、ブルボン種、ゲイシャ種などがあります。世界の生産量の6~7割が現在はこのアラビカ種です。ティピカ種はグアテマラやパナマで生産されていまして、ブルボン種はグアテマラやエルサルバドル。ゲイシャ種は日本のゲイシャに関係があるのかと思いきや、エチオピアの村の名前が由来になっています。

ロブスタ種は3~4割を占めているが病虫害に強くて収量も多く比較的低地で作れるが、苦みと独特の土臭さがあることから通常は深煎りにしてブレンドの材料に用いられます。カフェイン量はロブスタ種<アラビカ種となっています。インドネシアが生産量の90%を占めている代表的な産地になります。

残りのリベリカ種はアラビカ種より香味が弱く、ロブスタ種より耐病性が劣る為流通量が少なくなっています。

コーヒーノキからコーヒーが出来るまでの工程は

栽培→コーヒーノキ→収穫→精製→生豆→輸出→焙煎→焙煎豆→粉砕→抽出→コーヒー

コーヒーの精製には3種類あり

①乾式(ドライプロセス)別名:ナチュラル、②湿式(ウェットプロセス)別名:ウォシュレット、③半水洗式(セミウォシュレット)別名:パルプトナチュラルに大別されます。その後、輸出するときにカビが生えないように水分を12%以下にします。

次が焙煎になります。焙煎は180℃~250℃くらいまで生豆を加熱して乾煎りにします。焙煎度が浅煎り→中煎り→深煎りと進むにつれて豆の色が黒くなっていくだけでなく、「味や香りが苦みが弱く酸味が強い」→「苦みが強く、ビターチョコレートやスコッチウイスキーを思わせる重厚な香りや複雑で奥深い味わい」へ変化していきます。

焙煎された豆はコーヒーミルで小さく砕いた後に抽出をしていきます。抽出にもペーパードリップやネルドリップ、コーヒーサイフォンやエスプレッソなどどれを使うかで味わいは変わってきます。

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