道灌山の歴史

縄文時代、東京下町は海だったとされていますが現在の下町と呼ばれるところはほぼ全て海でした。
その中で一番山手線で北東側で台地になっていたのが『道灌山』です。現在の西日暮里駅のホームからも見る事が出来、東京一の進学校である開成高校が立地する場所にもなります。
西日暮里4丁目にある道灌山は『西に富士、東に筑波』が見られ、歌川広重の『道灌山虫聞之図』でも描かれていました。
江戸時代は月見をしながら虫の声を楽しんでいた場所だというから趣があるばしょだったのでしょう。
幅が数十メートルしかない台地だったとされていて、不忍通りの先の本郷台地との間には藍染川が流れていたために単独した丘になっていたそうな。
明治時代は岩倉具視の分家の邸宅があったとの事でやはり権力者が住む場所だけあっていい場所なのですね。
西日暮里の裏側にある諏訪神社からの景色を見ると、崖になっているのが良くわかります。近くには富士見坂という地名が今も残っていてマンション建設に反対する掲示物などもありました。
歴史を感じながら旅するのもよいですね。